もう脱炭素のコストを隠さないスナクの歴史的演説

2023年09月28日 06:40
アバター画像
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

英国のリシ・スナク首相が英国の脱炭素政策(ネットゼロという)には誤りがあったので方針を転換すると演説して反響を呼んでいる。

日本国内の報道では、ガソリン自動車・ディーゼル車などの内燃機関自動車の販売禁止期限を2030年から2035年に延期したことが専ら注目された。

だがこの演説はもっと重要な内容を含んでいる。具体的な政策について述べただけではなく、首相がこれまでの英国政府の誤りを指摘し、今後の方針を明確に述べたからだ。

最も重要なことは、保守党にせよ労働党にせよ、「歴代の英国政府はネットゼロのコストについて国民に正直でなかった」とはっきり断罪したことだ。コストについての議論や精査が欠如していた、とも言った。これらをすべて変え、今後は、難渋な言葉で誤魔化すのではなく、正直に説明する、とした。特に議会は、炭素排出の総量(炭素予算carbon budgetと呼ばれる)を承認する際には、それを達成するための計画を同時に精査すべきだ、とした。

そして「禁止、規制、課税」をしない、「強制ではなく同意が必要」という”新しいアプローチ “を採るとした。具体的には、内燃機関自動車禁止の期限の延期に加えて、ガスボイラー禁止の期限も延期する。住宅の断熱改修義務付けの計画も変更する。つまり期限が差し迫った規制をことごとく延期することになった。加えて、ゴミの分別細分化はしない。飛行機への税も食肉への税も実施しない、とした。

ただし今の所、具体的な政策についてはまだ踏み込みが足りない。洋上風力は推進し送電線は建設するとしている。ガスボイラーから電気式暖房への転換には手厚い補助金を出すとしている。内燃機関自動車の禁止なども期限が5年だけ延期されただけである。

2050年ネットゼロなどのこれまでの公約も堅持するという。スナクは、「ネットゼロを達成するためにこそ、国民の同意が必要であり、そのためには、国民が負担するコストに正直になり、強制を避けねばならない」としている。

ただし、今後、本当に首相の言うように国民へのコストを明らかにするプロセスが始まるならば、このような政策も妥当性が悉く吟味されるようになるだろう。

ネットゼロは、ボリス・ジョンソンなどの歴代の保守党政権も推進してきた政策であるため、スナク首相が提唱した方針転換には保守党内部からも反発がある。

ただし英国では、従前のようにネットゼロへの反論が異端視される状態では無くなっている。多くの議員が、ネットゼロのコストについて、公然と問題視する意見を言うようになった。保守党は本件については分裂状態になっている。

この演説を受けて、政権の支持率は上がっている、という世論調査結果が出てきた。Deltapollが22日から25日にかけて行った調査では、10日前の前回調査と比較して労働党の支持率が3ポイント下がり、保守党の支持率は4ポイント上昇した。労働党はまだ16ポイントも保守党をリードしているが、これは短期間にしては大きな変動である。英国民もネットゼロのコストにうんざりし始めていたとうことだろうか。

他方で、グリーン投資家は悲鳴を上げている。ブルームバーグが伝えているところによると、ロンドンを拠点とし、500億ドル近い資産を管理する低炭素ファンド投資家、Impax Asset Management Group Plcの創設者兼最高経営責任者(CEO)であるイアン・シムは、「完全なショックだ・・・政府方針に依存して英国への投資を考えている人にとってはリスクで、グリーン投資は減少することになる」と述べている。

日本政府は脱炭素で「グリーン成長する」という、経済学の初歩を無視した議論を展開して、コストがかからないフリをして、国民を欺いてきた。スナクのように、日本もコストについて精査し、国民に正直に語るべきだ。

This page as PDF
アバター画像
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

関連記事

  • 世の中には「電力自由化」がいいことだと思っている人がいるようだ。企業の規制をなくす自由化は、一般論としては望ましいが、民主党政権のもとで経産省がやった電力自由化は最悪の部類に入る。自由化の最大の目的は電気代を下げることだ
  • 2月のドイツ総選挙においてフリードリッヒ・メルツ氏が率いるCDU/CSU(キリスト教民主同盟、キリスト教社会同盟)が勝利(得票率2021年時24.2%→28.5%)を収める一方、現政権を構成するSPD(社会民主党)(25
  • 2月25日にFIT法を改正する内容を含む「強靭かつ持続可能な電気供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律案」が閣議決定された。 条文を読み込んだところ、前々からアナウンスされていたように今回の法改正案の
  • 気候変動を気にしているのはエリートだけだ――英国のアンケート結果を紹介しよう。 調査した会社はIpsos MORIである。 問いは、「英国で今もっとも大事なことは何か?」というもの。コロナ、経済、Brexit、医療に続い
  • 昨年末の衆議院選挙・政権交代によりしばらく休止状態であった、電力システム改革の議論が再開されるようだ。茂木経済産業大臣は、12月26日初閣議後記者会見で、電力システム改革の方向性は維持しつつも、タイムスケジュール、発送電分離や料金規制撤廃等、個々の施策をどのレベルまでどの段階でやるか、といったことについて、新政権として検証する意向を表明している。(参考:茂木経済産業大臣の初閣議後記者会見の概要
  • 日本の鉄鋼業は、世界最高の生産におけるエネルギー効率を達成している。それを各国に提供することで、世界の鉄鋼業のエネルギー使用の減少、そして温室効果ガスの排出抑制につなげようとしている。その紹介。
  • 政府の審議会で発電コスト試算が示された。しかしとても分かりずらく、報道もトンチンカンだ。 以下、政府資料を読みといて再構成した結論を簡潔にお示ししよう。 2040年に電力を提供するための発電コストをまとめたのが図1だ。
  • アゴラ研究所の運営するエネルギーのバーチャルシンクタンク、GEPR(グローバルエナジー・ポリシーリサーチ)はサイトを更新しました。 今週のアップデート 1)日本変革の希望、メタンハイドレートへの夢(上)-青山繁晴氏 2)

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑