COP28で見えたEU産業空洞化の予兆

2024年02月03日 06:50
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国際環境経済研究所主席研究員

Evgeny Gromov/iStock

昨年12月にドバイで開催されたCOP28であるが、筆者も産業界のミッションの一員として現地に入り、国際交渉の様子をフォローしながら、会場内で行われた多くのイベントに出席・登壇しつつ、様々な国の産業界の方々と意見交換する機会をもった。

今回のCOP28は、パリ協定に規定された、5年毎の気候変動対策の世界的な棚卸(グローバル・ストックテイク:GST)を行う初回の年であったこともあり、従来のCOPで中心の話題であった、削減目標の多寡や野心度を争う「美人コンテスト」型の議論に比べて、今年は具体的なアクション(削減・適応対策、そのための資金動員等)の進捗や課題など、より実質的、具体的なテーマを巡る議論やイベントが多くみられたという印象だった。

実際、ホスト国のUAEは、自身が化石燃料産出国であるということもあってか、COP28のテーマを“Ambition to Action (野心から行動へ)”と設定し、「脱炭素」と口で言っているだけではだめで、具体的な削減行動には何が課題で何が必要か、といったアクションに焦点を当てて様々なイベントのテーマ設定をしていたようである。

GST合意文書とその内容

会期を1日延長して12月13日に採決されたGST合意文書では、環境NGOが論調を主導してきた従来のCOPの世界ではとかく否定的にとらえられてきた原子力やCCUSなど、再エネ、水素、電気自動車以外の「低排出技術」も気候変動対策の有効な手段として明記されており、「それぞれの国情、道筋、アプローチを考慮し、国ごとに決定された方法で取り組みに貢献するよう締約国に求める」としている。

気候変動対策では、具体的な排出削減策を進めるのは簡単ではなく、様々な技術や手法をえり好みせずに総動員して取り組まないと進まないという認識が、COPの場でようやく共有されたことの意義は大きい。従来から多様なアプローチの必要性や国情に合わせた取り組みの重要性を主張してきた日本にとっては、納得のいく合意といえよう。

また交通システム分野の対策でも、ゼロエミッション車(EV)だけではなく、低排出車(HV、PHVなどを含む)の役割も明記した上で、様々な経路で排出削減を加速するとされており、これも日本の産業界の現実的なアプローチと合致するものである。

さらに特筆すべきは、今回の合意文書では、天然ガス等を想定していると思われる“移行燃料(transitional fuel)”は、「エネルギー安全保障を確保しつつ、エネルギー移行を促進する役割を果たしうることを認識する」とされており、COPの合意文書として初めて明確に、エネルギー安全保障への配慮が言及されている点である。これがウクライナ戦争や中東紛争など、世界のエネルギー供給をとりまく環境が不透明化する中、明示的に記載されたことの意義も大きい。

「化石燃料からの脱却」に関する議論

日本のメディアが一斉に報道した「化石燃料からの脱却に初めて合意」という点については、原文で“transition away from fossil fuelsという英語をどう翻訳するかということで意見が分かれるのだが、日本政府の公式訳は「化石燃料からの移行」であり、政府関係者によると「脱却」と訳すのはミスリードということであった。この解釈をめぐる同床異夢については、当サイトでも有馬純氏が詳しく解説しているのでそちらを参照いただきたい。

「化石燃料からの脱却に合意」というと、今すぐにでも石油、天然ガス、石炭の使用をやめなければいけないような印象を与えるが、全会一致での採決を前提としたCOPの交渉では、産油国サウジアラビアやロシアが拒否権を持っており、さらにはエネルギー供給の太宗を化石燃料に依存する中国とインド(この2か国だけで世界の人口の3割以上を占める)が、「化石燃料からの脱却」に合意したと解釈するのは、相当な無理があろう。

実際、世界有数の化石燃料輸出国であるロシアのプーチン大統領は意図してかどうか、COP会期中の12月7日に、COP会場のドバイから車で1時間しか離れていないアブダビを、戦闘機に護衛された大統領専用機で訪問し、COP主催国UAEのムハンマド大統領と会談している。

そこで何が話し合われたかの詳細は明らかにされていないが、その後プーチン大統領がサウジアラビアに移ったことを見ても、化石燃料に関するCOPでの産油国側のスタンスを確認したことは容易に想像できよう。そうした背景を考えると、この合意文書を「化石燃料からの脱却に合意」と解釈するのは、いささかご都合主義というものだろう。

COP28の合意内容とその影響

このように同床異夢的な表現で妥協が図られ、また原子力、CCUS、低排出自動車など、従来COP界隈の議論で「異端」扱いされてきた脱・低炭素技術への言及や、国情に合わせた多様なアプローチを推奨しているという点で、今回のCOP合意は従来のCOPの論調から一歩踏み出したものとなっている。

それに呼応した形で、今回のCOP会場で展開された様々なイベントや議論では、気候変動対策の実施、加速には様々な課題や障害があり、一筋縄では進まない乗り越えるべき課題も多いという論点が取り上げられ始めていた、というのが今回のCOP28に対する筆者の率直な印象である。

例えばボストンコンサルティングが12月5日に主催して行われたグリーン素材の市場創出に関するパネルディスカッションでは、CO2排出量の低いグリーンな素材を使って自動車などの製造段階のCO2排出を下げるといった取り組みに対して、パネリストで登壇していたドイツの自動車部品メーカーの経営者から「グリーンな素材のコストは大幅にアップするにもかかわらず、欧州の自動車会社はそうした素材を使った部品に環境プレミアムを乗せて高く買ってくれない。これではグリーンビジネスは成り立たない」といった「不都合な真実」の指摘があった。

同氏は、同じくパネリスト登壇していた独自動車メーカーのサステナブル調達本部長に対して、「グリーンな素材を高く買ってくれるか否か?」というストレートな問いかけをしていたのだが、回答をはぐらかされていた。

それを受けてその部品メーカーの経営者は、会場を埋めた聴衆に向かって「この会場に来ている皆さんが自動車を買うときに、CO2を出さない素材で作られた車を従来の車より高く買ってもらわないと、素材の脱炭素化など進められないのです」と言い放っていた。

最終需要家が環境コスト(=カーボンプライス)を負担する覚悟があるのかどうかという、今後の脱炭素化政策の肝となるコスト負担の議論が欧州で始まっている、ということを実感させられた一コマである。

欧州のエネルギー政策とその現実

一方で、COP会場で意見交換した欧州各国、中でもドイツの産業関係者たちは、口をそろえて「今やEU、特にドイツでは深刻な「脱工業化(de-industrialization)」が進んでいる」と懸念していた。

欧州ではカーボンプライスの上昇を伴う脱炭素政策と、ウクライナ紛争によるロシア産の安価なパイプライン天然ガスの供給途絶により、深刻なエネルギーインフレが生じており、構造的な景気低迷と、エネルギーコスト高による産業の域外移転(脱出)、ないしは域内事業縮小の動きが顕在化しつつあるというのである。

確かに欧州の報道では、昨年10月、11月の工業生産は、前年同月比でそれぞれ5.4%、5.8%減少しており注1)、コロナ禍から社会活動が持ち直す中でも、産業セクターでは深刻な不況に陥っている。

特に安価なロシア産天然ガス供給を失い、同時に脱原発を進めたドイツでは、エネルギーコストの上昇が常態化しており、昨年の実質経済成長率がマイナス0.3%と、コロナで落ち込んだ経済から回復基調にあるG7の中で、唯一マイナス成長を示している。

加えてそのドイツでは、昨年11月の上級裁判所判決で、政府によるコロナ対策費の転用による600億ユーロの気候変動対策資金拠出が違憲とされ、グリーン政策に充てる財源の目途が立たなくなり、電力などのエネルギーコスト上昇を抑える産業保護政策も縮小される危機に直面しているということであった。グリーン政策で政府支援を期待していた多くの産業セクターは、対応に苦慮しているとのぼやきも聞こえてきた。

ドイツ経済が「脱工業化」による深刻なリセッションに陥る懸念があるとの悲観論を示す声も、複数の関係者から直接聞かされた。

通常、脱工業化というと、従来型の製造産業からITやサービス業、金融業といったセクターへの「産業の高度化」をイメージする向きもあるだろうが、ドイツで起きているようなエネルギーコスト、電気代の上昇によって引き起こされる「脱工業化」は、国内で欧州有数の付加価値生産を行ってきたドイツ製造業が、安いエネルギーコストを求めてドイツ国内工場を閉鎖してEU域外に移転し、結果として国内に失業の山を築く空洞化を意味することになる。

こうした追い詰められた形で起きる「脱工業化」は、国内付加価値を拡大することには繋がらない。EU経済をけん引してきた工業国ドイツの脱工業化=空洞化がもたらすのは、EU経済圏の衰退ではないだろうか。

高い炭素価格がもたらす国内製品の競争力喪失と「カーボンリーケージ」を回避するための対策として、鉄鋼、アルミ製品などの素材を対象にEUで導入されるのが「EU-CBAM(国境炭素調整措置)」であるが、これについてもCBAMを巡るイベントの場で面談した欧州産業人たちはこぞって、その効果に疑念を呈していた。

「CBAMは輸入品に炭素価格を課すことで域内製品のEU域内市場での競争力を維持することはできても、高いカーボンプライスを課されたEUからの輸出品は、国際市場で競争力を失うことになる。またそうした部素材を使う域内ユーザー産業(例えば自動車産業)も、域内調達した部素材を経由して高いカーボンプライスを課されることで輸出競争力を失うので、結局は域外に工場を移転していくことになり、域内経済にとって大きなマイナス」と悲観的であった。

実際、欧州排出権取引(EU-ETS)の本格運用(フェーズ3)が始まった2013年以降、EUの鉄鋼貿易構造の変化を見ると、直近では輸出をおよそ1500万トン減らした一方で、EU域外からの輸入が約1000万トン増えている。この間、EU域内の粗鋼生産量はおよそ1.5億トンでほぼ横ばいなので、結局のところ、内需が2500万トン増えた分を「輸出の抑制1500万トン」と「輸入増1000万トン」で賄ったということになり、みすみす域内投資による17%の成長機会を逃したことになる。

実際にはこの間もEUの鉄鋼産業には、ETS制度の下で潤沢な排出権の無償配布枠が与えられており、さらに鉄鋼のようなETS対象セクターは、ETS以外のカーボンプライス(炭素税やFIT賦課金など)も減免されているので、高いカーボンプライス負担は未だ顕在化していないのであるが、厳しいEUの削減目標の下で、将来のカーボンプライス負担増が予見されるため、EU域内に設備投資を行う機会が放棄されたものと推察できる。

これは、今後無償配布枠が縮減され、高いカーボンプライスが実際に課されるようになる中で起きるであろうEUの産業空洞化加速の予兆を示しているのではないか。CBAMはEUの域内投資を促進する(ないしは維持する)ことには繋がらない、とする産業界の人たちの懸念は、的を射ているように思われる。

暗雲漂うEUのグリーン成長戦略

それでもEUは世界の野心的な気候変動政策で世界をリードしてきた経緯があるので、「環境意識の高い国民」によって今でもEUグリーン政策が支持されているのでは? との筆者の質問に対して、ある欧州産業界の代表の答えは以下のようなものだった。

曰く「欧州域内の市民は、抽象的なグリーン政策については依然支持しているものの、それが実際の生活コストが上がることに繋がるとなると一気に反発するようになる」、「実際、ドイツでは新築家屋の暖房に高価なヒートポンプを設置することを義務付け、安価なガスヒーターの設置を禁止するとか、農薬の使用禁止や、農業用トラクターの燃料をディーゼルから低排出燃料に切り替えるといった、直接的に生活にかかわってくるコストアップ政策が提示されると、一斉に国民の反発が起こり、大規模なストライキやデモが各地で発生して政府は撤回に追い込まれているのが実態」ということである。

これが環境先進国の集まるEUの実態だとすると、先に紹介したドイツの部品メーカーの経営者が問いかけ・・「ここにいる消費者の皆さんは、グリーンに作られた車のコストアップを喜んで負担してくれるのか?」には、切実かつ大きな問題提起が含まれていることがわかる。

つまり、EUのグリーン成長戦略の裏にある大きな仮説:カーボンプライスが課されて提供されるCO2排出が少ない高価なグリーン製品やサービスに対して、EU域内市場には投資が回収できるだけの十分な商機や市場が形成され、そうしたグリーン市場が世界にどんどん拡大していくことで、EU経済が成長機会を享受しながら世界の脱炭素化が進むというのは、理想論ではあっても、まだまだ現実社会では実証されていない仮説にすぎず、少なくとも環境先進国ドイツでも現実の壁は非常に高く、思ったようにグリーン市場は形成されていないというのが実態のようである。

従って、今後の欧州の気候変動政策は、野心的な目標は掲げているものの、実際には相当の紆余曲折が待ち受けているだろう・・というのが、今回のCOP28会場の中での活動や欧州関係者との会話を通じて、筆者が感じた率直な印象である。

注1)EurActiv, January 16, 2024

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