シーボルトが見た江戸の猛暑:ヒートアイランドは200年前からあった

2026年07月23日 06:45
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技術士事務所代表

1861年の夏、江戸に滞在していたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、自らの日記にこう記した。

「七月と八月、江戸湾と江戸および周辺では高温。ときには木陰でも華氏94度(約34.4℃)まで達することがある」

木陰で34.4℃——今日の東京の夏を知る私たちにとっても、決して驚くほどの数字ではない。しかし驚くべきは、これが江戸時代の記録だという事実である。エアコンも自動車もない時代に、なぜこれほどの高温が観測されたのか。参考までに、大気中のCO2濃度は江戸の街が280~300ppm、現在は427~430ppmと発表されている。

シーボルトは単に気温を記録しただけではなかった。彼はその原因についても考察を残している。地表付近の空気が異常なほど暖められているのは、江戸の街を覆う「黒く分厚い屋根瓦」のせいだ、というのである。

医師であり博物学者でもあったシーボルトの観察眼は、ここでも精緻だった。彼が指摘したのは、まさに現代の私たちが「ヒートアイランド現象」と呼ぶものの本質——アスファルトやコンクリートといった人工被覆材が日中に熱を蓄え、それを地表付近に放出し続けるという仕組みである。江戸の場合、その役割を担っていたのが瓦屋根だった。

当時、江戸はすでに人口100万を超える、世界でも有数の大都市であった。木造家屋が密集し、その屋根の大半を黒瓦が覆う——この都市構造が、局所的な熱の蓄積を生み出していたとしても、何ら不思議ではない。

実際、この仮説は現代の研究によっても裏付けられている。古い日記や気象記録を再構築した研究によれば、1853年の江戸では7月の平均気温が29℃に達しており、これは1876年以降の東京気象官署による観測史上最高値である28.5℃をも上回る数字である。江戸時代にも、現代に匹敵するような猛暑年が存在したことは、もはや空想ではなく、史料に基づいた事実として受け止めてよいだろう。

江戸の庶民は、この暑さをどう生きたか

では、この猛暑を、江戸の庶民はどう受け止め、どう乗り切っていたのだろうか。

まず思い浮かぶのは打ち水である。朝夕、道や庭先に水をまき、気化熱で涼をとる。これは単なる個人の工夫ではなく、長屋の住人同士が示し合わせて行う、いわば共同作業でもあった。隣近所が声をかけ合い、同じ時刻に水をまく——そこには、暑さを一人で耐えるのではなく、皆で分かち合うという発想があった。

住まいそのものも、暑さと格闘するのではなく、暑さを受け流すようにできていた。襖や障子を開け放ち、家の中に風の通り道をつくる。すだれやよしずで日差しだけを遮り、風は通す。密閉して敵と戦うのではなく、開放して受け流す——これが江戸の住環境の基本思想だった。

行水や井戸水で身体を冷やし、心太や冷や水売りといった季節の食で涼をとる。日が傾けば、川床や納涼床に繰り出し、夕涼みがてら人と語らう。暑さを避けて家に閉じこもるのではなく、むしろ外に出て、涼を求めて人と交わる時間として使っていた。

そして何より特徴的なのは、暑さそのものを笑いのネタにする文化があったことである。川柳には夏の暑さを茶化す句が数多く残っており、怪談噺は「涼をとるための夏の風物詩」として、恐怖という別の感覚で暑さを紛らわせる知恵でもあった。暑さは忌み嫌うべき敵ではなく、四季の一部として受け入れ、時には笑い飛ばす対象だったのである。

現代の私たちと、暑さの関係

翻って、現代の私たちは、この暑さとどう向き合っているだろうか。

答えは明らかである。エアコンという一点集中の解決策に頼り、住まいは気密性を高め、外気を遮断する方向に進化してきた。夏になれば、テレビやニュースサイトは「危険な暑さ」「命に関わる猛暑」「不要不急の外出は控えて」という言葉を繰り返す。暑さは、迎え撃って楽しむものではなく、警戒し、避け、耐え忍ぶべき「災害」として語られるようになった。

もちろん、熱中症対策として、こうした警告には正当な理由がある。実際の気温も、都市化の進行によって江戸時代よりさらに上昇している面はあるだろう。しかしここで立ち止まって考えたいのは、暑さそのものの数値だけでなく、暑さに対する私たちの「構え」が、江戸の庶民のそれとは大きく変わってしまったのではないか、ということである。

エアコンの効いた室内に一人でこもり、外は「危険」だから出ない。涼をとるための工夫も、人と分かち合う知恵も必要とせず、スイッチひとつで解決する。便利にはなった。しかし、その便利さと引き換えに、暑さを味わい、暑さと戯れ、暑さを通じて人とつながるという経験そのものを、私たちは手放してしまったのかもしれない。

江戸と現代——暑さとの付き合い方の比較

観点 江戸時代 現代
気候への認識 四季の一部、迎え撃つ対象 「危険」「警戒」の対象
住環境 開放的な木造建築、通気重視 気密性の高い建築、空調前提
涼のとり方 打ち水・風鈴・行水・川床 エアコン・屋内退避
社会的態度 川柳・怪談噺で笑いのネタに メディアが危険性を煽る
自然との関係 共生・受容 制御・回避
コミュニティ 井戸端・夕涼みでの交流 個々に室内で孤立
大気中CO2濃度(参考) 約300ppm 約430ppm

なぜ、この違いが生まれたのか

この違いは、単なる気温の数値の差から生まれたものではない。もちろん、都市化の進行による実際のヒートアイランド化——アスファルトや建物の密集による顕熱の蓄積——は、江戸時代よりもさらに進んでいるだろう。しかしそれは、大気全体の温室効果とは別の、局所的・都市スケールの現象であることは押さえておきたい。

気温そのものの変化と同じくらい、あるいはそれ以上に大きく変わったのは、暑さに対する私たちの「構え方」そのものではないだろうか。

江戸の住環境は、暑さを受け流すように設計されていた。現代の住環境は、暑さを締め出すように設計されている。江戸の情報環境は、暑さを笑い飛ばす川柳や怪談噺を育てた。現代の情報環境は、暑さの危険性を毎日繰り返し伝える。どちらも、それぞれの時代の技術と価値観の中では合理的な選択だったのだろう。しかしその結果、私たちは「暑さと戯れる」という発想そのものを失ってしまったように思える。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がある。暑さの感じ方は、気温という物理量だけで決まるのではなく、それに向き合う心の構えによっても、大きく左右されるという智慧である。

筆者自身、若いころ炎天下でスポーツに打ち込んでいた日々を、今なお懐かしく、そしてありがたく思っている。あの暑さは、耐え忍ぶだけの苦しみではなく、汗を流すことそのものが心地よさに変わる、不思議な感覚を伴っていた。

江戸の庶民が打ち水や川床で涼を楽しんでいたのも、根本にはこれと同じ、暑さを敵としてではなく、付き合う相手として迎える構えがあったのではないか。

結び——暑さを恐れるのではなく、楽しむ知恵を

エアコンという文明の利器を手放す必要はない。命に関わる猛暑への警戒も、もちろん正当なものである。しかし、江戸の庶民が示していた「暑さを迎え撃ち、時には笑い飛ばす」という構えは、現代の私たちが取り戻してもよい知恵ではないだろうか。

打ち水を一杯まく。すだれ越しの風を味わう。夕涼みに外へ出て、人と語らう。そうした小さな工夫の一つひとつが、暑さを「恐れて避けるもの」から「付き合いながら楽しむもの」へと、少しずつ変えてくれるかもしれない。シーボルトが200年前に記録した江戸の猛暑は、そのことを静かに教えてくれている。

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