解除は町再建のスタート地点【復興進む福島3】

国は9月5日に楢葉町の避難指示を解除する。しかし、放射線への不安や生活の利便性などから、帰還をためらう町民も多い。多くの課題が残る中、これからどう町を再建していくのか――。松本幸英町長に方針を聞いた。
-国は楢葉町の避難指示を解除することを決めました。解除をどう受け止めていますか。
松本・解除には空間放射線量を年20ミリシーベルト(mSv)以下にするなどの要件がありますが、今回、国は町民を楢葉に戻すために解除をするのではなく、戻りたい人たちが1割か2割はいますから、「その人たちを避難先にとどめておくことはできない」と考えて解除に踏み切りました。したがって、解除は規制を緩和することだと話しています。私はそのとおりだと思っています。
これには、いろいろな考えがあると思います。しかし、解除をしなければ町の再建はスタート地点に立つことができません。ですから私は前向きに考えて、しっかりと受け止めたい。4年半以上、楢葉では時間が止まっていました。これからは新たに時を刻んでいくことを考えて、復興に向けて取り組んでいきたいと思っています。
-国も楢葉町の再建を全面的に支援してく考えです。
松本・原子力災害対策本部長、これは安倍晋三首相ですが、8月7日に正式に解除を決定しました。その際、首相から解除後も楢葉町をしっかりと支援していくと直接の指示がありました。これは本当に力強いと思っています。解除について、批判的な話もあります。私はそれを否定しません。しかし、前向きな考え方をしながら進んでいかなければ、町の行く末を見通すことができなくなります。
-解除されたことで、これから本格的な町の再建が始まります。働き盛りの人たちに戻ってもらうには、職場が必要になります。
松本・町民の皆さんからは、「戻っても働く場所がない」と言われることがあります。津波・原子力災害被災地域企業立地補助金という国の制度があり、それを利用して既に進出する意向を示している会社が十数社あります。
住宅は4年半以上、あまり手入れもせずに置かれていましたから、リフォームしなければ住めないとか、中には解体して新築する家もあります。これは500軒以上ありますから、町内の事業者だけではとても手が足りません。しかし、大手の住宅メーカーは、まだ1~2社しか町内にない。しかし解除されることで、これからは多くの住宅メーカー参入し、リフォームや新築が進んでいくと思います。
子供たちは楢葉で教育を
-避難している人たちは帰町についてどう考えていますか。
松本・4年半以上避難生活を続けて、通院が必要な高齢者や小中学校に通う子供たちがいる家庭など、その状況はさまざまです。ですから、帰りたくても帰れないということへつながってくるのだと思っています。直近のアンケートを見ると、約半分の町民が帰町の意志を示しています。しかし、「帰りたい」と答えた町民の中にも、申し上げたようにいろいろな事情をかかえた家庭がありますから、すぐに多くの人たちが帰るとはならないと考えています。
-すでに準備宿泊で帰町している人たちがいますが、解除されて戻るのは、ほとんどが50歳以上の高齢者と聞きました。
松本・そうとらえています。したがって一時的に、まさしく超高齢者の町になる。そういう中で、将来、多くの人たちに帰還してもらう雰囲気作りを、まず戻られた皆さんと一緒に構築しようと思っています。そういうことを少しずつ、時間をかけてやることによって、若い世代も少しずつかもしれませんが、戻ってくると思っています。
しかし、やはり若い人たちが帰町してくるのは、ある程度、時間軸で考えていくしかないと思います。
-どれくらいの時間軸を考えていますか。
松本・やはり10年ぐらいの期間が必要だと思っています。やはり楢葉で生まれて育った子供たちは、避難先から通うにしても、やはり楢葉の学校に通ってほしい。小学校と中学校を一緒にした小中一貫校をつくり、新しい校舎で子供たちに学んでもらうことなどを含め、2017年春の開校を目指して検討を進めています。
-そこで学んだ子供たちが、いつか町に戻ってくれればいいですね。
松本・そうですね。子供たちを持つ30~40歳の親御さんたちと話し合うと、「今はまだ、帰れない」という声がほとんどです。それで、「今は無理でも、将来はどうですか」と聞くと、「帰りたい」という答えが多い。そういうことを考えると、希望は十分にあると思っています。
震災前の豊かな田園地帯に
-これから楢葉をどういう町にしたいと考えていますか。
松本・安倍首相が就任してすぐ現地入りしたときに、「われわれとしては復旧、復興にしっかりと命懸けで取り組んでいきます。単なる復興ではなくて、復興のモデルタウンにしたい」と直接訴えました。帰還を促進するためには、以前より魅力ある町にしていかなければいけません。そういうことを頭に据えて、あらゆる施策を展開していく考えです。
-やはり楢葉の魅力は豊かな田園風景だと思います。
松本・首長に当選してから、まずは原風景を取り戻すという思いで、今までやってきました。例えば各行政区の田んぼにはいまだに除染土の仮置き場があります。これを動かさないと、原風景に戻すことはできません。それをしっかりと訴え続けて、廃棄物を移動したのちの、以前のような田園風景にするよう努めたい。帰還が進み、営農を再開する人たちも増えてくると思いますので、町としてしっかり支援していきたいと思っています。
-Jビレッジも町の活性化に貢献しそうです。
松本・震災前は、全国の少年サッカーチームが試合していました。日本中から集まった子どもたちが楢葉、広野で歓声を上げて試合をすることは、大変意義があると思っています。20年のオリンピック・パラリンピックを目標に、再開に向けて努力していますから、われわれもその目標に合わせて、復興を進めたいと思います。
松本幸英(まつもと・ゆきえい)1960年楢葉町生まれ。四倉高校卒。会社員を経て、97年楢葉町議。4期務め、12年月4より現職。
(編集・エネルギーフォーラム編集部)
(この記事はエネルギーフォーラム9月号に掲載させているものを、同社から転載の許諾を得た。関係者の方に感謝申し上げる。)
(2015年9月24日掲載)

関連記事
-
オバマ大統領とEPA(アメリカ環境保護局)は8月3日、国内の発電所から排出される二酸化炭素(CO2)を2030年に2005年比で32%削減することなどを盛り込んだ「Clean Power Plan(クリーンパワープラン)」を正式に決定した。
-
NHK1月9日記事。慢性的な電力不足に悩まされるインドで、エネルギー分野の日本の先端技術をどう普及させるかについて話し合う会議が開かれた。
-
ポーランドの首都ワルシャワから、雪が降ったばかりの福島に到着したのは、2月2日の夜遅くでした。1年のうち、1月末から2月が、福島においては最も寒い季節だと聞きました。福島よりもさらに寒いワルシャワからやって来た私には、寒さはあまり気にならず、むしろ、福島でお目にかかった皆さんのおもてなしや、誠実な振る舞いに、心が温められるような滞在となりました。いくつかの交流のうち特に印象深かったのが、地元住民との食の安全に関する対話です。それは福島に到着した翌朝、川内村で始まりました。
-
低レベルあるいは中レベルの放射線量、および線量率に害はない。しかし、福島で起こったような事故を誤解することによる市民の健康への影響は、個人にとって、社会そして経済全体にとって危険なものである。放出された放射能によって健康被害がつきつけられるという認識は、過度に慎重な国際的「安全」基準によって強調されてきた。結果的に安心がなくなり、恐怖が広がったことは、人間生活における放射線の物理的影響とは関係がない。最近の国会事故調査委員会(以下事故調)の報告書に述べられている見解に反することだが、これは単に同調査委員会の示した「日本独自の問題」というものではなく、重要な国際的問題であるのだ。
-
小泉純一郎元首相は、使用済核燃料の最終処分地が見つからないことを根拠にして、脱原発の主張を繰り返している。そのことから、かねてからの問題であった最終処分地の選定が大きく問題になっている。これまで、経産大臣認可機関のNUMO(原子力発電環境整備機構)が中心になって自治体への情報提供と、立地の検討を行っているが、一向に進んでいない。
-
GEPR・アゴラの映像コンテンツである「アゴラチャンネル」は4月12日、国際環境経済研究所(IEEI)理事・主席研究員の竹内純子(たけうち・すみこ)さんを招き、アゴラ研究所の池田信夫所長との対談「忘れてはいませんか?温暖化問題--何も決まらない現実」を放送した。
-
「それで寿命は何秒縮む」すばる舎1400円+税 私は、2011年の東京電力福島第1原発事故の後で、災害以降、6年近く福島県内だけでなく西は京都、東は岩手まで出向き、小学1年生から80歳前後のお年寄まで、放射線のリスクを説
-
ロシアのウラル地方にある最新型の高速増殖炉で運転が始まった。完結した核燃料サイクルの始まりと、核廃棄物なしの発電のはじまりをもたらすかもしれない。ロシアは高速中性子炉を産業利用で運用している唯一の国だ。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間