国内撤退、海外で2兆円:日英洋上風力合意が示すもの

2026年06月19日 06:45
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技術士事務所代表

TebNad/iStock

日経新聞などによれば、日英両政府は6月14日に開かれた首脳会談で、洋上風力発電の協力で合意した。日本企業4社が参画し、10年間で最大1.9兆円規模の英国での事業展開を目指し、投資促進や技術開発の協力、風車のサプライチェーン構築などで連携を深めるということだ。

華やかな発表の陰に、何が隠れているのか。

国内では撤退、海外では2兆円

2025年8月、三菱商事が日本の洋上風力発電事業(第1ラウンド)からの撤退を発表した。2021年の入札で11.99〜16.49円/kWhという極端に低い価格を提示して3海域を一括落札したが、その後の資材・建設コストの高騰、円安・金利上昇、許認可手続きの遅延により収支計画は完全に崩れ、500億円規模の減損損失を計上した末の撤退だった。

筆者はこの撤退を受けて昨年8月、「三菱商事撤退が示す洋上風力の幻想:日本はなぜ推進をやめられないのか」(GEPR)を書いた。

そこで指摘した「判断力なき推進」の構造は、今回の日英首脳会談でさらに拡大した形で現れた。国内では採算が合わないとして撤退した洋上風力に、海外では2兆円近くを投じる。この矛盾をどう理解すればよいのか。

バックキャスティングという思考の罠

この矛盾を解く鍵は「バックキャスティング」という政策立案の手法にある。

バックキャスティングとは、「2050年カーボンニュートラル」という未来像をあらかじめ固定し、そこから現在に向かって逆算して政策を導く思考様式である。

本来は技術的・物理的制約を踏まえた上で使われるべき手法だが、現在の気候政策では「このような世界であるべきだ」という政治的価値判断をもって未来像を設定し、その正当性を科学の衣を借りて固定している。つまり、IPCCやWEFなどの政治的なグローバル・アジェンダに、唯々諾々と従っているだけなのである。

この構造が生む最大の問題は、未来像が「聖域」化することである。国内の社会保障・教育・インフラには「財源がない」という言葉が向けられる。しかし「2050年カーボンニュートラル」という未来像に向けた投資は「国際社会への責任」「脱炭素の国際貢献」という別の論理で動く。目標の妥当性や費用便益を問うこと自体が「後ろ向き」とみなされる雰囲気が生まれる。

英国洋上風力の「不都合な現実」

まず英国の洋上風力の現状を確認しておきたい。

英国は洋上風力の先進国として知られるが、近年その前提が大きく揺らいでいる。2023年のAR5(第5回入札)では上限価格£44/MWhに設定されたが、採算が合わないとして応札者がゼロという前代未聞の事態が起きた。世界全体でも2025年までにコスト増を理由とした入札中止・延期・撤退が相次いだ。

さらに見過ごせないのが「風力干ばつ(Wind Drought)」のリスクである。2021年夏から秋にかけて、英国では過去60年で最も風の弱い時期の一つとなり、風力発電量が急落した。2020年9月に英国の電力の18%を供給していた風力発電が、2021年9月にはわずか2%に落ち込んだ。

英国政府はエネルギーギャップを埋めるため、休止中の石炭火力発電所2基を緊急再稼働せざるを得なかった。折しもCOP26がグラスゴーで開催され「石炭廃止」を呼びかけていた、まさにその時期のことである。2024年にも同様の「ダンケルフラウテ(暗黒の凪)」が発生し、ドイツでは石炭火力が朝の需要の30%を担った。

浮体式洋上風力は固定式より沖合の深海域に設置するが、風が吹かなければ発電しないという根本的な問題は同じである。今回の日英合意でこのリスクへの言及は一切ない。

なぜ日本企業4社なのか:既成事実の政治的追認

今回の合意で不思議なのは、なぜ「日本企業4社」と最初から特定されているのかという点だ。AR6(第6回入札)の入札上限価格が66%引き上げられ採算の余地が生まれたなら、欧州の他の企業も応札できるはずである。

実態はこうだ。首脳会談での「合意発表」以前に、水面下ですでに特定のプロジェクトと日本企業の関係が成立していた。例えば、丸紅はOssian(3.6GW)のパートナーとしてすでに参画済みだった。つまりこれは「首脳会談で決まった」のではなく、企業レベルで進んでいた案件を首脳会談という舞台で「格上げ」して発表した既成事実の政治的追認である。

英国政府にとっては、中国製タービンを排除した結果生じるコスト増を日本の資金と技術で補完させる好機でもある。

採算の前提を問う

三菱商事は国内で採算が合わなかったとして撤退した。米国東海岸でもオルステッド、BP、シェルが同じ理由で撤退している。世界的なコスト構造は基本的に変わっていない。

それでも今回の4社が英国での採算を見込めるとすれば、その理由はCfD(差額決済契約)制度における入札上限価格の大幅引き上げにある。

AR5(2023年)では上限£44/MWhに誰も応札しなかったが、AR6(2024年)では66%引き上げられ£73/MWhとなった。この上限価格の引き上げは、タービン・建設費・運転維持費・保険・資本コスト・利益まで積み上げた総コストに対して十分な余裕を与える。つまり三菱商事が国内で撤退した理由――採算が合わない——は解決されていない。解決策は「誰かに高いコストを払わせる」ことだったのである。

その「誰か」とは英国の電力消費者である。英国の家庭用電気料金はすでにG7でドイツに次ぐ高水準(約47円/kWh)にある。CfD制度によるコストは電力料金に上乗せされ、英国国民はさらに高い電気料金を払い続けることになる。日本の再エネ賦課金と同じ構造である。

また、企業のリターンは純粋な収益期待というより、浮体式技術の国際的な実績作り、国内次ラウンド入札への布石、ESGポートフォリオの充実といった間接的・戦略的な利益への期待が大きい。主要プロジェクトのOssianはいまだ最終投資決定(FID)に至っておらず、「1.9兆円の投資」とは10年かけて投じる予定の上限額にすぎない。

0.006のために何兆円を使うのか

ここで根本的な問いを立てたい。

キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志氏は、IPCCの気候感度をそのまま用いて試算した結果、日本が2050年にCO₂排出ゼロを達成しても回避できる気温上昇はわずか0.006℃にすぎないと発表している。この数字は国会でも取り上げられ、財務大臣が答弁で否定しなかった。

0.006℃のために、GX法で今後10年間150兆円を使う。さらに英国の洋上風力に約2兆円を投じる。この費用便益の非対称性を、国民はどれほど認識しているだろうか。

バックキャスティングで固定された未来像は、このような問いを立てにくくする。「目標は決まっている、あとは手段だ」という論法の中で、巨額の資金が動いていく。

見えない負担を負う両国の国民

今回の合意を「民間企業の投資」と呼ぶことは正確ではない。その背後にはJBIC(国際協力銀行)による融資、グリーンイノベーション基金(総額2兆7,564億円・GX債原資)による技術開発支援が重なっており、事業が失敗した場合のリスクは最終的に国民が負う構造になっている。英国側では電力消費者がCfD制度のコストを負担し、日本側では将来の炭素賦課金がGX債の返済に充てられる。

交渉テーブルを囲むのは政府と企業だけである。英国国民は世界第2位の高い電気料金にさらなるコストを上乗せされ、日本国民はGX債という名の国債とグリーンイノベーション基金、そして将来の炭素賦課金というかたちで静かにつけを回される。首脳会談の華やかな発表の陰で、両国の国民は自分たちが負担者であることを知らされないまま、既成事実を事後的に告げられる。

これがバックキャスティングという思考様式が行き着く先である。未来を「設計」した人々は責任を問われず、その設計のコストは設計に関与しなかった人々が払う。

おわりに

「2050年カーボンニュートラル」という未来像を誰が決め、その実現のために誰がコストを負担し、間違っていた場合の責任は誰が取るのか。

国内で財源不足が叫ばれる中、見えにくい形で巨額の資金が海外の洋上風力に流れていく。気候政策という「聖域」を生み出したバックキャスティングの論理が、民主主義的な意思決定プロセスをも静かに迂回していく。

これらの問いを、政策議論の入り口に置き直すべき時期に来ている。

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