脱炭素の不都合な真実:「証明された」のではなく「未検証」

2026年09月10日 06:40
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技術士事務所代表

2026年の夏、7月は西日本を中心に観測史上最高クラスの猛暑となった一方、8月の東京は一転して涼しく、猛暑日はごくわずかにとどまった。

同じ夏の中でこれほど気温が乱高下する現実を前にしても、メディアや専門家と呼ばれる人々は「温暖化・気候変動は科学的に証明された」と語り続ける。だが、この言い回しは科学哲学的にも、技術者の実務感覚からしても正確ではない。

筆者は化学技術者としての経験から、あえてこう言い換えたい。

これは「科学的に誤り」なのではなく、「技術的に試されていない」のだ。

科学と技術は目的が違う

科学は反証可能性に基づき、理論を反証の試みに耐えさせながら暫定的に支持し続ける営みである。IPCC自身も報告書中では「可能性が非常に高い」といった確率的表現を用いており、断定的な「証明」を語っているわけではない。科学は、収率や性能、経済性などを議論しないため、その知見が直接社会実装に結びつくわけではない。

一方、技術(エンジニアリング)は、設計・試作・実測・誤差評価・再設計という検証サイクルを、現実の失敗を許容しながら繰り返すことで確立する。橋梁もプラントも半導体も、この試行錯誤を経て、初めて社会に実装される資格を得る。試行錯誤が許されない対象は、そもそも「技術」たり得ない。

気候モデルはどちら側か

気候モデルには、CO₂の赤外吸収特性のように実験室で再現可能な部分と、雲・水蒸気フィードバックのように経験的な調整に頼らざるを得ない部分が混在する。地球は一つしかなく対照実験ができず、予測の当否が判明するまで数十年を要する。

2016年に米議会へ提出されたある分析では、102本の気候モデルの平均が実測の対流圏気温トレンドの二倍以上の昇温を示し、観測に近かったのは低感度に設定された一本の海外モデルのみだったことが報告されている。

それでも外れたモデル群は次世代でも淘汰されず使われ続けている。これは工学分野でモデルの妥当性確認に用いるV&V(Verification and Validation)の基準に照らせば重要な区別を含む。

放射伝達コードそのものが数式を正しく解いているか(Verification)は高精度で確認されている一方、そのモデルが現実の気候システムを正しく表現しているか(Validation)——実測との一致——という段階では、検証途上、あるいは一部で検証に失敗した状態にある。

にもかかわらず、その出力は2050年、2100年へと外挿され、確定的な将来予測であるかのように政策の土台に据えられている。

こうした確信は、しばしばモデルそのものの物理的な精度以上に、それを生み出す組織文化に由来する。査読コミュニティの規範そのものが、特定の結論を語りやすくする構造を持つことは、Reto Knuttiらモデル研究者自身も指摘している通りである。個人の作為ではなく、構造がナラティブを形作るのだ。

淘汰されないという異常

技術には本来、市場という淘汰装置が働く。コストに見合わない設計は投資家や消費者の判断で撤退し、性能未達の技術は次の試作サイクルで修正されるか放棄される。この淘汰圧があるからこそ、試行錯誤は無駄な浪費ではなく、収斂へ向かうプロセスになる。

ところが、再生可能エネルギーや蓄電池、水素といった脱炭素技術の多くは、固定価格買取制度や補助金、排出量取引によって、この淘汰圧そのものを制度的に無効化されている。割高なコストでも市場から退出せず、性能未達でも政治的な支援によって延命される。技術としての自己修正機構が、政策によって意図的に切断された状態である。

税金という保証

民間資本が自らの判断でリスクを取る投資であれば、失敗は市場のメカニズムが処理する。しかし税金による投入は事情が異なる。消費者や投資家の意思決定を経ずに資金配分が決まり、コスト超過や性能未達が明らかになっても、既得権益とサンクコストゆえに撤退しにくい。

検証されていない気候感度や、現実離れした排出シナリオに基づく将来予測が、今この瞬間の確定的な支出決定の根拠にされている。試されていない技術の実装コストを、市民が税として先払いさせられている構図である。

炭素共生という現実解

化石燃料は、百年以上にわたる実装の中で、コスト・信頼性・安全性という技術としての検証を経てきた、数少ない「証明された」エネルギー基盤である。電力に限らず、六千種類を超える製品の原料としても文明を支えている。

脱炭素そのものを頭から否定するのではない。しかし「科学的に証明された」という言葉を盾に、試行錯誤の検証を経ていない技術の社会実装を急ぐことは、技術者の作法からは逸脱している。すでに検証済みの化石燃料という土台の上に、真に淘汰に耐えた技術だけを積み増していく——それが炭素共生の現実的な道筋である。

「証明された」のではなく、まだ「試されていない」だけなのだ。この一語の違いを取り違えたまま巨額の税金を投じ続けることこそ、技術者として最も警戒すべき事態である。

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