京都議定書の“終わりの終わり”

2013年02月18日 14:00
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国際環境経済研究所理事・主席研究員

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COP18 ドーハ アティーヤ議長(主催国カタール副首相)(国連資料)

国連気候変動枠組み交渉の現場に参加するのは実に2 年ぶりであったが、残念なことに、そして驚くほど議論の内容に変化は見られなかった。COP18で、京都議定書は第2約束期間を8年として、欧州連合(EU)・豪などいくつかの国が参加を表明、2020年以降の新たな枠組みについてはその交渉テキストを15年までに固めることは決定した。

しかし前者は世界全体の排出ガスの約14%しかカバーできず、後者は交渉する項目の整理すら進まず既に実現が危ぶまれている。ここまで混迷する気候変動枠組み交渉とは何なのか。交渉現場で見えたことを中心にお伝えしたい。

気候変動枠組み交渉の「スマート化」

国連気候変動枠組み交渉の現場を久しぶりに訪れて驚いたのは、紙の配布物がないことだった。

つい2年前、メキシコのカンクンで開催されたCOP16はまだ、交渉スケジュールやドラフト案は紙が主体だったが、今や「Paper Smart」。スマートフォン(高機能携帯電話)やタブレットでバーコードを読み込んでその先にあるドキュメントを探しにいくか、通信機器がついていないPCしか持っていない人にはUSBで配布してくれる。国連事務局の運営は、少しずつスマートになっているようだ。

しかし交渉の中身は全くスマートになっていない。時折強いデジャヴ(既視感)に襲われ、自分がどこにいるのかわからなくなるほどだった。

変わらぬ交渉スタンス

交渉の現場で念仏のように唱えられる気候変動枠組み条約の第3条1項が定める「CBDR」(Common but Differentiated Responsibilities:「先進国と途上国は気候変動問題に対し共通の責任を負うが、その程度には差異がある」とする原則論)。同じ条文に「respective capabilities」(それぞれの対応能力に応じて)との文言もあるのだが、先進国と途上国の単純な二分論にこだわり続ける新興国、途上国の主張は見事なまでに以前と変わらない。

今回のCOPでは、先進国から途上国に対する資金支援が大きな争点となった。2009年のCOP15において、先進国全体で10年から12年までの3年間に300億ドルを追加援助し、20年までに年間1000億ドルにする資金動員目標が約束された。前者については日本が「鳩山イニシアチブ」に基づいて約133億ドル、先進国全体の約40%分を拠出するという「過大な」貢献をしたこともあって目標を上回る支援がなされた。

今後の長期的資金支援を具体化させたい途上国と、厳しい経済状況の中で明確な資金支援策を示すことができない先進国の間で交渉が難航したのだが、事態をさらに難しくしたのは、短期資金支援に対する途上国の感謝のなさであった。日本政府交渉団が強く主張した通り、先進国側からすればこれでは納税者に対する説明責任を果たし得ない。しかし途上国からすれば、温暖化は先進国が産業革命以降に化石燃料をふんだんに使って二酸化炭素(CO2)を排出してきた結果であり、資金・技術支援を行うのは当然果たすべき「義務」なのだ。

そのため、技術支援においても知的財産権を全く無視するような条件が出されるなど、先進国からすれば「ご無体な」と思わざるを得ない要求を突きつけてくる。先進国は加害者、途上国は被害者とする原則論は、温暖化問題を南北問題にしてしまうだけでなく、1992年の気候変動枠組み条約締約時や97年の京都議定書締約当時の先進国と途上国の分類を固定化させることで、温暖化対策の実効性も失わせている。

化石賞報道の化石化

気候変動枠組み条約の原理主義に陥っているのは、交渉団ばかりではない。COP18の期間中、日本政府は2回化石賞を受賞した。化石賞とは、COP開催期間中の毎日、国際的な環境NGO(Climate Action Network)が、交渉に後ろ向きであると判断した国・地域に贈るもので、化石燃料を指すと同時に、化石のような古い考え方に固執しているとの皮肉がこめられている。

日本政府がCOP18開催初日の昨年11月26日に受賞した理由は「京都議定書から逃げた」というのがその理由だったが、京都議定書を継続することが温暖化対策に前向きなことだとは、私には思えない。理由は「月刊ビジネスアイ エネコ12月号」に投稿したとおり、一部の国にのみ削減義務を課すトップダウンスキームの問題点による。

気候変動枠組み条約の理念を実現する手段として初めて温室効果ガスの排出抑制を定めた京都議定書には一定の意義があった。しかし世界経済は1990年代初頭とは様変わりし、京都議定書を金科玉条のごとく守っても、地球は守れないことは認めねばならないだろうに、今もなお京都議定書への参加・不参加が化石賞の基準になっていることに驚きを感じた。

そして、日本が化石賞を受賞すると、国内では一斉に「日本の主張、国際社会に受け入れられず」「日本孤立」といった報道が流れる。私もCOPに参加する前は、本当に日本政府が孤立しているのではと心配したものだったが、化石賞の発表現場にそのような悲壮感はない。環境NGOの若者が学園祭の出し物のような寸劇とともに毎日の化石賞を発表し、模造紙に手書きで書いていく。各国交渉官やオブザーバーたちも、お祭りを見るように写真を撮ったり、一緒に歌を歌ったりしている。

化石賞という第三者評価ももちろん重要だが、自分たちが自国政府の取り組みを具体的に把握し、自らの考えで評価することが必要であり、報道が「化石化」していないか疑う目も必要だろう。



COP開催期間中の名物となっている化石賞(写真は2010年のCOP16)

日本の取るべき道

現在、日本が持つ唯一の目標は「2020年の温室効果ガス排出量を1990年比で25%削減する」である。これは発表当時からその実現が国内外から疑問を持たれていたが、原子力発電所をほとんど停止している今、全くリアリティがなくなっている。

自民党政権に代わり、茂木敏充経済産業相からはこの目標の見直しが言及された(昨年12月28日の閣議後記者会見)。しかし気候変動交渉は「武器なき戦い」だ。震災直後であればまだ理解は得られやすかったであろうが、これから目標値を引き下げるには交渉で火だるまになる覚悟とそうならないための周到な準備、納得性ある代替案が必要になる。目標値を「努力目標」として維持したまま達成する手段を幅広く認めさせる、あるいは、削減余地の大きいアジア太平洋地域諸国と組んで共同での目標値を持つという方針もあろう。

日本政府がここ数年温めてきた2国間オフセット・クレジット制度は目標達成に向けた柔軟なアプローチの一つだ。温室効果ガス削減に実効性があり、多くの途上国にとってメリットがある新たなスキームを提案し、日本が目標の前提条件とした「全ての国が参加する公平で実効性ある枠組み」を自ら実現する努力が求められる。いずれにしても日本は早急に、現実的なエネルギー政策と温暖化対策を示す必要がある。

月刊ビジネスアイ エネコ2月号」より転載

(2013年2月13日掲載)

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