ドイツ赤軍の亡霊:元テロリストを英雄視する倒錯

2026年06月12日 06:50
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作家・独ライプツィヒ在住

Marcus Millo/iStock

RAFとはドイツ赤軍のことだ。当初は、第1世代の首謀者2名の名をとって「バーダー・マインホフ・グループ」と呼ばれていたが、日本赤軍に感化されて改称したという。

1960年代終わりから活動を開始し、1970年代の初めには、日本赤軍と同時期にメンバーがレバノンのPFLP(パレスチナ解放人民戦線)で軍事訓練を受けた。目指すは西側資本主義の打倒と、マルクス主義による世界革命。そして、その後20年にもわたり、血生臭いテロを繰り広げた。

西ドイツを震撼させたRAFのテロ

特に1970年代初め、RAFのメンバーが第2世代に代わり、テロは荒れ狂った。あちこちで爆弾がさく裂し、銀行が襲撃され、警官が射殺され、飛行機がハイジャックされ、政治家や資本家が誘拐・暗殺され、大資本の企業に勤めているというだけの理由で、ごく普通の従業員までが無残にも巻き添えになった。

少し年上のドイツの友人にその頃の話を聞こうと思ったら、「話したくない。あの頃の不安な感情が蒸し返されて、とても嫌な気分になるから」と、すぐさま話をさえぎられた。

1977年9月、テロは最高潮に達した。ドイツ産業界の頂点に立っていたハンス=マーティン・シュライアー氏が誘拐されたのだ。彼はドイツ経営者連盟とドイツ産業連合の会長で、ダイムラー・ベンツ社の取締役でもあり、当時、おそらく一番厳重な護衛が付いていたドイツ人の1人だったはずだが、車で移動中に運転手、SP、警官2人が射殺され、シュライヤー氏は連れ去られた。これにより、「ドイツの秋」と呼ばれる暗黒の数カ月が始まった。

誘拐犯が送りつけてきたポラロイド写真では、その産業界の重鎮が赤いTシャツを着て、「赤軍派の人質」と書いたプレートを持たされていた。誘拐犯の要求は、刑務所で服役中のバーダーら第1世代のテロリスト11人の釈放。シュライヤー氏は、当時のシュミット首相に向けたビデオで、赤軍派の要求を懇願させられた。しかし、首相は熟考の末、テロリストの要求には屈しないという苦渋の決断をした。

計画が思うように進まず焦ったテロリストらが、パレスチナ・ゲリラに協力を求めた結果、ルフトハンザ機の乗っ取り事件が起こった。旅客機は人質を乗せて4日間さまよい、ようやくソマリアの首都モガディシュに着いたとき、すでに射殺されていた機長の死体が滑走路に投げ出された。犯人たちは、赤軍派メンバー釈放の最終期限を延長したが、その日の深夜、対テロ特殊部隊GSG-9が機内を急襲し、一瞬で犯人たちを制圧した。

不思議なのは、まだその夜が明けないうちに、服役中だった赤軍メンバーのうち幹部の3人が獄中で自殺したこと。彼らがどうして乗っ取り失敗の報に接したのか、なぜピストルを持っていたのかは謎だ。これにより、計画が失敗したと判断したRAFは、翌日、処刑という名目でシュライヤー氏を射殺した。

解散後も続いた第3世代の逃亡生活

この「ドイツの秋」以後、赤軍は完全に社会の敵となったが、RAFの活動は終わらなかった。やがて第2世代のリーダーたちも逮捕され、1998年、RAFは解散を宣言した。しかし、その後を引き継いだ第3世代が、それ以後も潜伏したまま、活動資金集めのために銀行やスーパーマーケットを襲い、その他、未遂に終わった爆破事件や殺人など、凶悪な犯罪を次々に繰り返した。盗んだ金額は320万ユーロ(現行レートで約5.9億円)を下らないと見られている。

最終的に、RAFの第3世代として指名手配されていた主犯級は3名で、警察は彼らを執拗に追っていた。そして、ついに2024年2月、そのうちの1人、ダニエラ・クレッテ(67・女性)がベルリンで拘束された。逮捕に結びついた情報に15万ユーロの報奨金が付いたことが、事件の解決につながったと言われる。

警察が居場所を突き止めたとき、クレッテはイタリアの偽造パスポートを提示したというが、その後、警察に連行され、指紋でクレッテ本人であることが確定した。

住んでいたのは協力者の名義で借りた市営住宅で、彼女はここで20年間も普通の市民を装って暮らしていた。ブラジル人の男性と同居していたこともあり、複数の偽造パスポートを使ってブラジルや南米に旅行していたこともわかっている。それどころかFacebookには写真付きのアカウントを持ち、近所では子どもの勉強を見てやったりしていたという。

ただ、その後の家宅捜索で押収されたものはハンパではなかった。20万ユーロの現金、1.2kgの金塊、偽の携帯式対戦車砲弾発射器、本物の弾頭、カラシニコフ1丁、機関拳銃1丁、照準器1台、拳銃2丁、そして弾丸多数、携帯電話の電波妨害機。これらが40平方メートルの住居に詰まっていたのだから、警官が玄関をピンポンしてクレッテの身柄を無事に確保できたのは、不幸中の幸いであった。当然、この無防備さには警察内部から批判の声が上がったという。

法廷を包んだ異様な声援

さて、私の言いたいのはここからだ。5月28日、3月から続いていた裁判が終わり、クレッテへの判決が言い渡された。ニーダーザクセン州の州立裁判所には、公判の前から、建物の外も中も大勢の支持者が詰めかけていた。そこにクレッテは堂々と姿を現し、最高に優雅に微笑みながら支援者に手を振った。必死で拍手をしながら声援を送るファンと、スター気取りで余裕のクレッテ。なんだか倒錯した世界を見ている気分になった。

言い渡された判決は懲役13年。もっともこれは、RAFが解散してからの強盗罪などについての判決。それ以前の謀殺罪については、未遂でも時効がないとされるため、これから裁判が開かれる。

なお、報道によれば、裁判長が判決を言い渡すと、法廷内はブーイングと、「ダニエラに自由を!」という叫び声で騒然としたという。そして、クレッテはその様子にたいそう満足した表情で、黙って拳を振り上げたそうだ。要するに、反省はしていない。

弁護団も当然満足せず、クレッテが銀行強盗に加担した証拠は不十分だとして、即座に控訴した。

元テロリストを英雄視する倒錯

RAFの元テロリストらの多くは、今でも自分たちのやったことが正しいと思っているらしい。例えば、前述のシュライヤーの誘拐の首謀者であったモーンハウプトは、今では釈放されて自由の身だが、犯行を悔いる言葉や、犠牲者の家族に対する詫びの言葉は一度も口にせず、終始黙秘で、捜査にも協力しなかった。

それどころか、彼女は釈放後、自分についての報道で「殺人犯」や「テロリスト」という言葉が使われていることに抗議した。しかし、抗議された「ビルト」紙も負けておらず、「9人殺しの殺人犯は、時間が経過しても9人殺しの殺人犯。そして、犠牲者は今も犠牲者で、元犠牲者ではない」と応酬した。

ちなみに日本では2000年、日本赤軍の重信房子(当時55歳)が長年の逃亡の末に捕まり、2022年まで服役した。彼女が若かりし頃の自分の行動をどう思っているかは知る由もないが、こちらも根強いファンがいるようだ。

出所から1年あまり経った頃、朝日新聞に「刑期満了で出所した『日本赤軍』元最高幹部の重信房子さん」というタイトルの記事が出た。日本赤軍とは、何かのシンクタンクかと勘違いしそうなタイトル。「罪を憎んで人を憎まず」の日本の新聞は、元テロリストにも優しかった。

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